♣リマ、クスコ、マチュピチュ写真集
♣チチカカ湖・ナスカ地上絵 写真集

ペルー世界遺産紀行 10日間
2008年9月18日(木)〜9月27日(土)
ナスカ上空 マチュピチュ 9月18日(木)

成田JL062 17:25出発予定が遅れて19:00離陸(所要時間9時間55分)

ロサンゼルス12:02着 ロサンゼルス発14:15LP605(所要時間8時間35分)
ロサンゼルス離陸後1時間もすると雪のアンデス山脈の大パノラマが窓から見えだす。
息をのむような美しさだ。

1:10 リマ着 バスにてホテル(シェラトン・リマホテル)へ1:50着いた。寝む い

10:00ホテル出発、世界遺産リマ市内観光

マヨール広場にある大統領官邸、カテドラル(大聖堂)等を見学する。 ペルー料理セビーチェ 大聖堂のすばらしい彫刻

アルマス広場、次に天野博物館へプレインカのチャンカイ時代の物が多い土器、織物は木綿の草木染め(ユーカリ等を使用)ミイラ、等、土産に革製のマグネット(ナスカの地上絵、ハチドリ、コンドル)を買う。

天野博物館の門に留まっていたハトはミナミハジロバト。愛の公園へ、スペインのガウディを模倣した公園で太平洋の上を次々に飛ぶパラグライダーが気持ち良さそうだ。

海辺のレストランで昼食、食前酒のピスコサワー(ピスコとはペルー原産のぶどうの蒸留酒のことレモン汁と砂糖、卵白と氷をシェイクして作る)爽やかで飲みやすい。ペルー料理のセビーチェは魚介のマリネ(唐辛子、コリアンダー、レモン汁で味付け)さっぱりで美味であった。

スペインの影響でパエリアも美味、果物も種類が多くジュースも美味、リマ市街では果物売りのスタンドが目に付いた。食後、黄金博物館へ立派な鎧が並び、金の飾り物が多かった。博物館の敷地内の店でアルパカのマフラー(15ドル)とベレー帽(3ドル)を買った。
インカの聖なる谷,,6000m級の山々に囲まれた谷、ウルバンバはクスコから約 80km、標高2860m、辺ぴな谷にあるSAN AGUSTIN MONASTERIO DE RECOLETA(サンアグスティン モナステリオ デラ レコレータ)ホテルはスペイン風の建物で静かでよく手入れされた美しい仲庭にはアメジストセージ,マーガレット、ベコニア、ブーゲンビリア、ハイビスカスなど花が咲いていた。ホテルを6:15に出発して、途中バチャクテ王の銅像のところで一休み。オリャンタイタンボより8:30、展望列車ビスタドームに乗る。

お茶や、ビスケット、ハムなど軽食がでた。列車は川に沿って走り時々インカ道が見える。インパチェンスの咲くのを何度も見つけてここに自生してることがわかった。1時間30分でアグアス・カリエンテに着いた。ホテルの準備が整わず、まず昼食を、レストランに行った。戻ってもまだ入室できず待ち、荷物を急いで部屋に置き,やっとバスにて30分、この旅行のハイライト、

マチュピチュに着いたのは15時近かった。暑いし人々で混雑していた。30分ほどで坂道を登りきるとマチュピチュ遺跡が眼前に広がっていた。絶壁の山々がそびえる、ウルバンバ渓谷の山中、標高2280mにあるマチュピチュ、“空中都市,,とも呼ばれる。総面積は5㎢その約半分の斜面に段々畑,西の市街地は神殿、居住区、周囲は城壁で固められている。16世紀半ば、インカの人々はマチュピチュを残し消えてしまう。その後400年以上にわたって人の目の触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者、ハイラム、ビンガムが初めて発見した時は草に覆われた廃墟となっていた。多くの謎は解明されていない。

ワイナピチュ(若い山)の山頂を双眼鏡で見る、石段の道がつけられている。膝が悪くなければ明日(22日)のフリー時間に登りたかったが、痛み止めを飲みながらの旅なので残念!

恨めしげに眺めるだけ、ここではマチュピチュ専門のガイドを付けることになっていて、ガイドは二人。遺跡の見学、段々畑、住居、宮殿跡がきれいに区分され、インカの人々が16世紀ここで暮らしていたのかとしみじみ想う。岩の上にウサギがいて私たちを見下ろしている。インカ時代からの植物を一画に集めて植えてあり、コカ(コカ茶はよく飲んだ)ピンクのランの花など。遺跡よりマチュピチュ(老いた山)もよく見える。ワイナピチュに登る人はゲートで届け出を出す。転落事故が多いそうだ。ゲートの少し中に入れてもらう登山道が続いている。石積みの間でツバメがひなを育てていたり、アカエリシトドも地面に降りていた。

リャマも数頭遺跡を縄張りにしている。ピンク色のハマユウに似た花も咲きのどかだ。遺跡をひと通り見学するだけで広くて結構な散歩であった。夕食はホテルで、汚いホテルでタオルも使う気になれず。ゆっくりくつろぐ気になれない。シャワーも水。

今日もマチュピチュへ、フリータイムだがほとんどの人が現地ガイドと行動を共にする。

「太陽の門」まで、ゆるやかな登りを行く。ピンクとブルーに光る美しいチョウを発見(オーロラモルフォチョウと後で知る)あまりの美しさに写真を撮ることも忘れて見とれてしまう。昨日と少し違う角度からのワイナピチュとプツクシ(美しい山)花茎だけ長くのばした赤いベコニアや岩壁に沢山、着生する赤い色のアナナスの仲間を見つける。ゆっくり歩いて約50分「太陽の門」に着いた。おやつを食べたりして30分くらい休んで展望を楽しむ。マチュピチュ遺跡を後にして、アグアス・カリエンテスに戻り、レストランで昼食後、展望列車(ビスタドーム)に車窓から見つけたつけ火といわれる山火事は帰りもまだ燃え続いて山脈があちこち黒くこげていた。

バスに乗り継ぎクスコに着いた時はすっかり暗くなって高台にバスをとめてクスコの夜景を眺める。キラキラと美しい。

大きなレストランでディナーショーを楽しみながら夕食、アルパカの肉を食べる。柔らかく美味しい。クイ(モルモット)は臭いと言うのでやめにした。クスコのホテル泊。

今日も良い天気、クスコからサンパブロに行く途中でティカという丸い大きく平たい伝統のパンをガイドが下車して買い皆で食す。少し甘くおいしい。インカ時代の関所の後などを車窓から眺めながらサンパブロの土産屋で休憩。リャマ、アルパカ、ビクーニャ、クエ(モルモット)が飼われている。リャマとアルパカは似ているが尾が上がっているのがリャマ,アルパカは下がっていると教えてもらう。ベイビーアルパカのマフラーを皆で値切って35ドルで赤い色のを買った。

ララヤ(LARAYA)峠では標高4335mの標識前で写真タイム、峠から眺められる雪の山はチムポジャ山(CHIMBOYA)5489m、露店の土産物屋が出店していて観光客目当てにたくましく商売している。フリアカで昼食、その後シルスタニ遺跡へ標高4000mで乾燥していて風が強く、少し歩くと、のどが渇き水を飲みながら歩いた。ここはちょっと立ち寄っただけ、バスで少し走り、イマイヨ湖へ、湖に浮かぶイマイヨ島には野生のビクーニャが、今65頭生息しているそうだ。青く澄んだ空と深いブルーの湖の対照が美しい。近くのマリアさんの家に寄り台所など住居を見せてもらい、食料のジャガイモや穀物(キヌアなど)を見せてもらい。

グレーの色をした小粒のジャガイモのゆで立てとチーズをいただく。中は黄色でおいしいジャガイモであった。食用にクイ(モルモット)が飼われ、クイの小屋の屋根はイチと言うイネ科の植物で作られていた。イチはアルパカの好物でバスからの車窓から見た草原に沢山あった。クスコから10時間以上かかってアンデス山脈のほぼ中央に位置するプーノに着いた時は夕暮れていた


晴れ、標高3850m チチカカ湖は琵琶湖の12倍 60%ペルー、40%ボリビア

水鳥がいるので朝食前に湖畔に出てみる。アスファルトの立派な道路で車はひっきりなしに走る。ちょっとイメージは違った。富士山より高いので朝は少し寒い。チチはピューマ、カカは石、湖畔の高台にピューマの像があった。

9:00 ホテル出発、汽船で世界最高地点の湖を行き、アシ科の植物トトラを積み重ねて作った浮き島、ウロス島へ、島に着くとウル族の女性達(1957年絶滅、ケチュアとアイマラ族の混血)が並んで出迎えてくれる。

トトラの島に上陸、皆、はだしであった。ちょっとフワァーとするけど歩きやすい。早速、浮島の作り方を説明してもらう。トトラの白い軸は食用にするそうだ。湖で採れた、魚や水鳥の干物を並べてみせてくれる。屋根にソーラーパネルが付き室内には小さなテレビもあった。ここでも土産物を並べて商売。

トトラで造った船に乗り次の島へ、女性達は「咲いた 咲いた チューリップの花が」と歌って私たちを見送る。帰りは汽船のスピードになれて水鳥をよく観察しカメラに撮る。アンデスカモメ、アメリカムラサキバンの仲間のオオバン、ミミジロカイツブリ、くちばしがブルーのアカオタテガモなど、ホテルに戻り昼食後、フリアカへ

フリアカ発16:55、約1時間35分で空路18:30着リマに戻る。シェラトン、リマホテル泊
ウロス島の女性達は「咲いた 咲いた チューリップの花が」と歌って私たちを見送ってくれた。

晴れ、(空路で行く予定が長い欠航で)バスでパンアメリカンハイウェーをイカまで、

まだくらい4:30出発、今日はナスカの地上絵観光。7:30 チンチャで休憩。

早朝出発であったためウトウト、目覚めると砂漠を走り、右手に太平洋が見える。約4時間イカのアエロ・コンドル社の飛行場に着く。まぶしい太陽、南に下ったのだとしみじみ想う。キビタキを赤くしたような鳥、ベニタイランチョウ、キバシヒメバトを見る。

一番大きい12人乗りのセスナと7人乗りの2機のフライトなので順番待ちが長いので、とりあえずイカの博物館見学と砂漠のオアシス、ワカチナ湖へ、リマ市内にも咲いていた。赤い大きな花を付けた木、アフリカンチューリップ(カエンジュ)、ワランゴ(黄色の丸い玉を付ける),ブーゲンビレアの棚、ベニタイランチョウはここにも数羽、アエロ・コンドル社の飛行場に戻るがさらに待つ。やっとグループの2番目で12人乗りのセスナ機で飛び立つ。イカからナスカまで約30分、始めに火星人、クモ、フラミンゴ、ハチドリ、コンドルと確認できた。地上絵見物のセスナ機が時々墜落することを聞いていたので戻った時はホッとした。アエロ・コンドル社内のレストランで昼食、ナスカの地上絵証明書をもらう。また飼われているペペと言う名のコンドルを見る。自然にもどす予定と聞く。
イカを15:40 出発して復路をリマへ、リマ市街地は夕刻で道は混雑、リマの日本食レストランで刺身、茶碗蒸し、など日本食の夕食。ホテルに戻り出発まで部屋で休憩する。

01:40 リマ発LP604 空路ロサンゼルスへ,所要時間約8時間35分 ロサンゼルス着8:15、 ロサンゼルス発13:34、所要時間10時間40分で成田へ 9月27日 5:36到着
リマ、クスコ、マチュピチュ写真集 チチカカ湖・ナスカ地上絵 写真集 ペールーで見た野鳥と花  写真集

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♣ペールーで見た野鳥と花  写真集

9月22日(月)

ほたるの森の四季

大聖堂のすばらしい彫刻

今日もマチュピチュへ、フリータイムだがほとんどの人が現地ガイドと行動を共にする。

「太陽の門」まで、ゆるやかな登りを行く。ピンクとブルーに光る美しいチョウを発見(オーロラモルフォチョウと後で知る)あまりの美しさに写真を撮ることも忘れて見とれてしまう。昨日と少し違う角度からのワイナピチュとプツクシ(美しい山)花茎だけ長くのばした赤いベコニアや岩壁に沢山、着生する赤い色のアナナスの仲間を見つける。ゆっくり歩いて約50分「太陽の門」に着いた。おやつを食べたりして30分くらい休んで展望を楽しむ。マチュピチュ遺跡を後にして、アグアス・カリエンテスに戻り、レストランで昼食後、展望列車(ビスタドーム)に車窓から見つけたつけ火といわれる山火事は帰りもまだ燃え続いて山脈があちこち黒くこげていた。

バスに乗り継ぎクスコに着いた時はすっかり暗くなって高台にバスをとめてクスコの夜景を眺める。キラキラと美しい。

大きなレストランでディナーショーを楽しみながら夕食、アルパカの肉を食べる。柔らかく美味しい。クイ(モルモット)は臭いと言うのでやめにした。クスコのホテル泊。

ペルー料理セビーチェ

ウロス島の女性達は「咲いた 咲いた チューリップの花が」と歌って私たちを見送ってくれた。
 宿泊のホテル

民族文化あふれるカラフルな土産物

9月23日(火)

成田JL062 17:25出発予定が遅れて19:00離陸(所要時間9時間55分)

ロサンゼルス12:02着 ロサンゼルス発14:15LP605(所要時間8時間35分)

ロサンゼルス離陸後1時間もすると雪のアンデス山脈の大パノラマが窓から見えだす。

息をのむような美しさだ。


今日も良い天気、クスコからサンパブロに行く途中でティカという丸い大きく平たい伝統のパンをガイドが下車して買い皆で食す。少し甘くおいしい。インカ時代の関所の後などを車窓から眺めながらサンパブロの土産屋で休憩。リャマ、アルパカ、ビクーニャ、クエ(モルモット)が飼われている。リャマとアルパカは似ているが尾が上がっているのがリャマ,アルパカは下がっていると教えてもらう。ベイビーアルパカのマフラーを皆で値切って35ドルで赤い色のを買った。

ララヤ(LARAYA)峠では標高4335mの標識前で写真タイム、峠から眺められる雪の山はチムポジャ山(CHIMBOYA)5489m、露店の土産物屋が出店していて観光客目当てにたくましく商売している。フリアカで昼食、その後シルスタニ遺跡へ標高4000mで乾燥していて風が強く、少し歩くと、のどが渇き水を飲みながら歩いた。ここはちょっと立ち寄っただけ、バスで少し走り、イマイヨ湖へ、湖に浮かぶイマイヨ島には野生のビクーニャが、今65頭生息しているそうだ。青く澄んだ空と深いブルーの湖の対照が美しい。近くのマリアさんの家に寄り台所など住居を見せてもらい、食料のジャガイモや穀物(キヌアなど)を見せてもらい。

グレーの色をした小粒のジャガイモのゆで立てとチーズをいただく。中は黄色でおいしいジャガイモであった。食用にクイ(モルモット)が飼われ、クイの小屋の屋根はイチと言うイネ科の植物で作られていた。イチはアルパカの好物でバスからの車窓から見た草原に沢山あった。クスコから10時間以上かかってアンデス山脈のほぼ中央に位置するプーノに着いた時は夕暮れていた

9月24日(水)

晴れ、標高3850m チチカカ湖は琵琶湖の12倍 60%ペルー、40%ボリビア

水鳥がいるので朝食前に湖畔に出てみる。アスファルトの立派な道路で車はひっきりなしに走る。ちょっとイメージは違った。富士山より高いので朝は少し寒い。チチはピューマ、カカは石、湖畔の高台にピューマの像があった。

9:00 ホテル出発、汽船で世界最高地点の湖を行き、アシ科の植物トトラを積み重ねて作った浮き島、ウロス島へ、島に着くとウル族の女性達(1957年絶滅、ケチュアとアイマラ族の混血)が並んで出迎えてくれる。

トトラの島に上陸、皆、はだしであった。ちょっとフワァーとするけど歩きやすい。早速、浮島の作り方を説明してもらう。トトラの白い軸は食用にするそうだ。湖で採れた、魚や水鳥の干物を並べてみせてくれる。屋根にソーラーパネルが付き室内には小さなテレビもあった。ここでも土産物を並べて商売。

トトラで造った船に乗り次の島へ、女性達は「咲いた 咲いた チューリップの花が」と歌って私たちを見送る。帰りは汽船のスピードになれて水鳥をよく観察しカメラに撮る。アンデスカモメ、アメリカムラサキバンの仲間のオオバン、ミミジロカイツブリ、くちばしがブルーのアカオタテガモなど、ホテルに戻り昼食後、フリアカへ

フリアカ発16:55、約1時間35分で空路18:30着リマに戻る。シェラトン、リマホテル泊

1:10 リマ着 バスにてホテル(シェラトン・リマホテル)へ1:50着いた。寝む い

10:00ホテル出発、世界遺産リマ市内観光

マヨール広場にある大統領官邸、カテドラル(大聖堂)等を見学する。

アルマス広場、次に天野博物館へプレインカのチャンカイ時代の物が多い土器、織物は木綿の草木染め(ユーカリ等を使用)ミイラ、等、土産に革製のマグネット(ナスカの地上絵、ハチドリ、コンドル)を買う。

天野博物館の門に留まっていたハトはミナミハジロバト。愛の公園へ、スペインのガウディを模倣した公園で太平洋の上を次々に飛ぶパラグライダーが気持ち良さそうだ。

海辺のレストランで昼食、食前酒のピスコサワー(ピスコとはペルー原産のぶどうの蒸留酒のことレモン汁と砂糖、卵白と氷をシェイクして作る)爽やかで飲みやすい。ペルー料理のセビーチェは魚介のマリネ(唐辛子、コリアンダー、レモン汁で味付け)さっぱりで美味であった。

スペインの影響でパエリアも美味、果物も種類が多くジュースも美味、リマ市街では果物売りのスタンドが目に付いた。食後、黄金博物館へ立派な鎧が並び、金の飾り物が多かった。博物館の敷地内の店でアルパカのマフラー(15ドル)とベレー帽(3ドル)を買った。

9月20日(土)

9月25日(木)

晴れ、(空路で行く予定が長い欠航で)バスでパンアメリカンハイウェーをイカまで、

まだくらい4:30出発、今日はナスカの地上絵観光。7:30 チンチャで休憩。

早朝出発であったためウトウト、目覚めると砂漠を走り、右手に太平洋が見える。約4時間イカのアエロ・コンドル社の飛行場に着く。まぶしい太陽、南に下ったのだとしみじみ想う。キビタキを赤くしたような鳥、ベニタイランチョウ、キバシヒメバトを見る。

一番大きい12人乗りのセスナと7人乗りの2機のフライトなので順番待ちが長いので、とりあえずイカの博物館見学と砂漠のオアシス、ワカチナ湖へ、リマ市内にも咲いていた。赤い大きな花を付けた木、アフリカンチューリップ(カエンジュ)、ワランゴ(黄色の丸い玉を付ける),ブーゲンビレアの棚、ベニタイランチョウはここにも数羽、アエロ・コンドル社の飛行場に戻るがさらに待つ。やっとグループの2番目で12人乗りのセスナ機で飛び立つ。イカからナスカまで約30分、始めに火星人、クモ、フラミンゴ、ハチドリ、コンドルと確認できた。地上絵見物のセスナ機が時々墜落することを聞いていたので戻った時はホッとした。アエロ・コンドル社内のレストランで昼食、ナスカの地上絵証明書をもらう。また飼われているペペと言う名のコンドルを見る。自然にもどす予定と聞く。

イカを15:40 出発して復路をリマへ、リマ市街地は夕刻で道は混雑、リマの日本食レストランで刺身、茶碗蒸し、など日本食の夕食。ホテルに戻り出発まで部屋で休憩する。

9月26日(金)

01:40 リマ発LP604 空路ロサンゼルスへ,所要時間約8時間35分 ロサンゼルス着8:15、 ロサンゼルス発13:34、所要時間10時間40分で成田へ 9月27日 5:36到着

あわただしい旅でしたが、収穫の多い楽しい旅でした。

9月19日(金)
9月18日(木)

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ペルー世界遺産紀行 10日間

2008年9月18日(木)〜9月27日(土)

リマ空港からクスコへ(所要時間 約1時間15分)海抜ほとんど0mのリマから3000mのクスコへ飛ぶので用心のため薬(ダイアモックス)を飲んだ,5分も飛ぶとアンデス山脈が見えた。クスコ空港(3248m)ではフォルクローレの生バンドが気分を盛り上げる。インカ帝国の首都だったクスコはアンデス高原の山々に囲まれた盆地の中にある海抜3200m〜3700m、サントドミンゴ教会はインカ時代の太陽の神殿、教会内はインカ時代の石積みが見事でこの上にスペイン風の教会を建設した。中庭も広くて美しい、教会の廻りの庭にはフクシャの木が数種類あり花が咲きみだれ青い空と白い雲の対比がきれいであった。ペルーの少数民族の人々も素敵な帽子とスカートの装いで集団で観光に来ていた。

アルマス広場へ移動し広場に面して建つカテドラルは重厚な建物である。

クスコの町にはインカ時代の石積みの上にスペイン風の建物が建ち独特な雰囲気だ、大聖堂裏のハトウンミョク通りで見られる12角の石はカミソリの刃も入らないほど精巧な石積みの一つでこれを土台に家が建てられている。INKA.Wallの名前のレストランで昼食、ちょうど結婚記念パーティーと一緒になる。新郎新婦ともハンサム、美女で似合いのカップルであった。その後サクサイワマン要塞跡を尋ねる。次にケンコー遺跡に行く。ここは迷路の様でチャカナ(白黒の石で作った)ペンダントを買う。岩場に張り付くように咲く黄色のカルセオラリア(きんちゃく草)の仲間を見つける。今日の宿、ウルバンバをめざし出発する。

もう何時間バスに乗ったのだろうか、ウトウトして気付くと薄暗くなっていた。高い山々に囲まれた深い谷をバスは行き、時々粗末な家が点在し、その中に佐川急便と書かれたトラックが2台置いてある家があった。こんな谷間に私たちが泊まる宿があるのかと思う。

すっかり暗くなって町らしい明かりをすぎるとホテルに着いた。もう22時を過ぎていた。疲れた!

9月21日

“インカの聖なる谷,,6000m級の山々に囲まれた谷、ウルバンバはクスコから約 80km、標高2860m、辺ぴな谷にあるSAN AGUSTIN MONASTERIO DE RECOLETA(サンアグスティン モナステリオ デラ レコレータ)ホテルはスペイン風の建物で静かでよく手入れされた美しい仲庭にはアメジストセージ,マーガレット、ベコニア、ブーゲンビリア、ハイビスカスなど花が咲いていた。ホテルを6:15に出発して、途中バチャクテ王の銅像のところで一休み。オリャンタイタンボより8:30、展望列車ビスタドームに乗る。

お茶や、ビスケット、ハムなど軽食がでた。列車は川に沿って走り時々インカ道が見える。インパチェンスの咲くのを何度も見つけてここに自生してることがわかった。1時間30分でアグアス・カリエンテに着いた。ホテルの準備が整わず、まず昼食を、レストランに行った。戻ってもまだ入室できず待ち、荷物を急いで部屋に置き,やっとバスにて30分、この旅行のハイライト、

マチュピチュに着いたのは15時近かった。暑いし人々で混雑していた。30分ほどで坂道を登りきるとマチュピチュ遺跡が眼前に広がっていた。絶壁の山々がそびえる、ウルバンバ渓谷の山中、標高2280mにあるマチュピチュ、“空中都市,,とも呼ばれる。総面積は5㎢その約半分の斜面に段々畑,西の市街地は神殿、居住区、周囲は城壁で固められている。16世紀半ば、インカの人々はマチュピチュを残し消えてしまう。その後400年以上にわたって人の目の触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者、ハイラム、ビンガムが初めて発見した時は草に覆われた廃墟となっていた。多くの謎は解明されていない。

ワイナピチュ(若い山)の山頂を双眼鏡で見る、石段の道がつけられている。膝が悪くなければ明日(22日)のフリー時間に登りたかったが、痛み止めを飲みながらの旅なので残念!

恨めしげに眺めるだけ、ここではマチュピチュ専門のガイドを付けることになっていて、ガイドは二人。遺跡の見学、段々畑、住居、宮殿跡がきれいに区分され、インカの人々が16世紀ここで暮らしていたのかとしみじみ想う。岩の上にウサギがいて私たちを見下ろしている。インカ時代からの植物を一画に集めて植えてあり、コカ(コカ茶はよく飲んだ)ピンクのランの花など。遺跡よりマチュピチュ(老いた山)もよく見える。ワイナピチュに登る人はゲートで届け出を出す。転落事故が多いそうだ。ゲートの少し中に入れてもらう登山道が続いている。石積みの間でツバメがひなを育てていたり、アカエリシトドも地面に降りていた。

リャマも数頭遺跡を縄張りにしている。ピンク色のハマユウに似た花も咲きのどかだ。遺跡をひと通り見学するだけで広くて結構な散歩であった。夕食はホテルで、汚いホテルでタオルも使う気になれず。ゆっくりくつろぐ気になれない。シャワーも水。